【レースレポ】北九州マラソン2024〜驕りが招いた大撃沈。私がマラソンから学んだ事
2023年の北九州マラソンで念願の「初サブ3」を達成。
そこからの1年間、私は「2時間55分切り」という次なる高い目標を掲げ、順調に練習を積み重ねてきました。
「もしかしたら、このままサブエガ(2時間50分切り)までいけるんじゃないか?」
前回の成功体験は、いつしか自分の中で確固たる自信となり、そして——「驕り」へと変わっていました。今振り返れば、この時の私はマラソンというスポーツに対してもっとも不誠実で、謙虚さを欠いた状態だったのだと思います。
結果は、グロスタイム3時間08分12秒、ネットタイム3時間08分07秒。
私のマラソン人生において「最悪の失敗」であり、同時に「現在の自分(2時間53分)」へと繋がる「最大の転機」となったレースの全貌を、データとともに記録として残します。
当日のコンディションと、狂い始めた「ギア・ウェア戦略」
当日の天候は以下の通り。後半にかけて気温が15℃近くまで上昇する、2月としてはかなりタフなコンディションが予想されていました。
- 09:00(スタート):快晴 / 気温 8.6℃ / 湿度 75%
- 11:00(中盤) :晴れ / 気温 14.8℃ / 湿度 57%
- 12:00(終盤) :快晴 / 気温 15.4℃ / 湿度 60%
午前3時に起床。おにぎり2個、餅2個、カステラを胃に流し込み、万全のエネルギー補給を済ませて6時半には会場入り。
この日の足元は、勝負シューズとして選択した「アディオスプロ3」。
ウエアは、ノースリーブのユニフォームの下に、絶大な信頼を置いている「ファイントラック(ドライレイヤークール)」を着用していました。
そして、今思えばこれが一つ目の致命的な失敗の引き金でした。
本来、汗冷えを防ぐ最強の味方であるはずのドライレイヤーですが、この日は完全に裏目に出ました。最高気温が15.4℃まで跳ね上がったレースの 終盤、この「わずか1枚のアンダーウェア」が熱を籠らせ、自覚のないままに体力をジワジワと奪っていく原因になったのです。
興奮のSAブロックと、異様なほどの「余裕」
引用元:北九州マラソン公式
今回、私にはひとつのステータスがありました。初めて足を踏み入れる最前列の「SAブロック」です。
後方のブロックが早くから場所取りで殺到する中、SAブロックは静まり返っており、並ぶのは一目で猛者と分かるシリアスランナー、招待選手、そして有名インフルエンサーたち。整列の段階から胸が高鳴りました。
いつもなら適度な緊張感に包まれ、緻密にレース展開をイメージする時間。しかし、この日の私は違いました。
緊張感は、ほぼゼロ。
まるでフルマラソンを何十回も走破してきたベテランのような、妙なリラックス感と「フルマラソンなんて簡単だ、楽勝だ」という根拠のない余裕に支配されていたのです。前回のサブ3達成という事実が、私を完全に天狗にさせていました。
凍りつく現実:サブエガの幻影を追った前半のラップデータ
SAブロックの特権で、タイムロスはわずか5秒。
頭の片隅では「最初は慎重に」と考えていたものの、身体の動きが良すぎました。
実際の5kmごとのラップデータが、私の犯した過ちを物語っています。
最初の1kmを4分07秒で入り、2km目には4分00秒まで跳ね上がりました。当時の私には明らかなオーバーペース。通常の精神状態なら恐怖を覚えてブレーキをかけるはずですが、アドレナリンと驕りに満ちた脳は「今日はいける!」と都合のいい解釈をしました。
北九州の最初の5kmは緩やかな上り坂。にもかかわらず、5km通過は20分28秒。さらに下り坂を利用して加速し、5km〜10kmは20分01秒。
まさに「サブエガ(2時間50分切り)」を狙うランナーのラップです。
「練習でできていないことは、本番でも絶対にできない」
これがマラソンの鉄則であり、私の持論であったはずなのに。「自分なら、もしかしたらこのままサブエガのペースで押し切れるかもしれない」という妄想が、現実的な判断力を奪っていました。
小倉駅の応援がもたらした「引くに引けない罠」
中間点を過ぎ、レースは小倉駅周辺へと戻ってきます。
この時、身体はまだ軽く、キロ4分〜4分05秒を維持していました。
そして小倉駅前では、家族や知り合いの方たちが大声援を送ってくれていました。
本当に嬉しかったし、もの凄く力になりました。しかし、当時の私の「驕り」はこの素晴らしい応援すらも、最悪の方向へと変換してしまったのです。
「格好良い姿を見せたい」
「サブ3ランナーとしての意地がある」
応援に応えたい一心で、実際には限界が近づいていた身体に鞭を打ち、ペースを落とすという「判断」を自ら切ってしまいました。今思えば、ここで自分の状態を冷静に見極め、勇気を持ってペースをキロ4分15秒〜20秒あたりまで落としていれば、大撃沈という致命傷は避けられたはずでした。しかし、声援の後押しが、私の「引くに引けないプライド」に火をつけてしまったのです。
突然の終焉:25kmの崖と、崩壊したメンタル
オーバーペースの本当の恐ろしさは、前触れもなく、突然やってきます。
- 20km〜25km:20分36秒 (通過 1:42:18)
- 25km〜30km:21分31秒 (通過 2:03:49)
25km地点を過ぎた瞬間。
突如、身体の底から全エネルギーが抜けていくような、凄まじい疲労感に襲われました。じわじわと上昇していた気温と、ドライレイヤーが溜め込んだ熱。そして前半の暴走のツケが、一気に牙を剥いたのです。
パニックに陥った私は「何かの間違いだ。このまま粘っていれば、そのうち回復してまた走れるようになるはずだ」と、またしても根拠のない期待にすがり、ペースを維持しようとしてしまいました。
そんな奇跡が起きるはずもなく、30km地点から先は、本当の地獄が待っていました。
- 30km〜35km:23分06秒 (通過 2:26:55)
- 35km〜40km:28分40秒 (通過 2:55:35)
5kmのラップが23分台、そしてついに28分40秒(キロ5分44秒ペース)まで大暴落。
30kmを過ぎてからは、走っては止まり、歩いてはまた少し走る、の繰り返しでした。
後方から走ってくるランナーたちに、信じられない勢いで次々と追い抜かれていく。
その瞬間、私のメンタルは完全に崩壊しました。
「もう、レースなんてどうでもいい」
気持ちが完全にポッキリと折れ、タイムを追うことを放棄しました。
後ろからやってきた「サブ3ペーサー」の集団に抜かれた時、必死に食らいつこうとしましたが、一瞬で引き離されたことでトドメを刺されました。
体力も、気力も、プライドも、すべてがゼロ。
あとはただ、ゴールを目指してトボトボとジョグをするだけの、屍のような時間でした。
最後に競技場が見え、いつもなら最後の力を振り絞ってスプリントする場面でも、私は走るのをやめ、歩いてゴールラインを越えました。あまりにも投げやりで、最悪な気分の幕切れでした。
この大失敗が教えてくれた、唯一にして最大の教訓

前回の初サブ3で、私は「自分はすごいランナーだ」と大きな錯覚をしていたのだと思います。
しかし、サブ3を達成したからといって、偉いわけでも何でもない。
マラソンという競技は、どこまでも残酷で、どこまでも平等です。
準備した以上のものは出ないし、42.195kmに対してリスペクトを欠いた者、気象条件やギアの選択を甘く見た者には、必ず相応の代償を払わせる。
今回のレースで得たものは、お世辞にも褒められたタイムではありません。3時間8分という数字は、当時の私にとって屈辱そのものでした。
しかし、「レースに対してそして自分に対して、常に真剣で、謙虚で、誠実に向き合わなければならない」という、今後のランニング人生において最も大切な教訓を、身をもって学ぶことができました。
オーバーペースの恐ろしさ、気候に合わせたウェア選択の重要性、そしてメンタル崩壊の怖さ。
私のこの苦い経験が、挑戦を続けるランナーの皆様のシミュレーションとして、少しでも参考になれば幸いです。
また一から、泥臭く、謙虚に、強くなって戻ってきます。

